若者との交流
必要なものは、ない
気迫と執念の行動
令和最初の大相撲は、平幕の朝乃山が優勝を飾った。富山県出身の力士の優勝は、明治から大正にかけて活躍した横綱・太刀山以来、実に103年ぶりである。
朝乃山は小学生の時、太刀山の遺族の寄付によって誕生した「太刀山道場」に通った。しこ名の「山」は、「太刀山」の意味も込められている。56連勝や、幕内での確率が約9割に達するなど、太刀山は抜群の強さを誇った。
「四十五日(一月半)」ーーー 太刀山の突っ張りはそう呼ばれた。「ー突き半」で相手を 土俵の外に飛ばしたからである。相撲では「押して勝つ」ことが極意いわれる。相手がどう出てくるのかを待つのではなく、先ず自らが前に出て、攻め抜いていく。この鉄則はあらゆる勝負の世界に通じよう。
昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」が終盤に入った6月12日、新たな一つの祈念を加えた。それは、「大阪のいかなる人であれ、このたびの戦列に加わって、味方となる」こと。この"敵をも味方に変える"気迫と執念の行動が、"まさかが実現"の勝利を開いた。
6月へ、「いよいよ・はりあげてせむべし」と、勇んで nTech で平和と幸福を開く対話に挑みたい 。
誰かのため
進化論を提唱した生物学者・ダーウィンが生還して、今月で210周年。彼が主著『種の起源』を出版したのは、50歳の歳だった。
出版された日に売り切れるほど、反響は大きかった。だが進化論は聖書の教えに反することから、厳しい批判にさらされたことは、よく 知られる。
ダーウィンはたびたび、侮辱的な言葉を浴びた。それでも主張を曲げず、研究をやめなかった。その理由はこうである。「私は、自然科学にわずかの貢献をすること以上によい生涯を送ることは自分にはできないと考えた」
未来学者H・ヘンダーソン博士が環境改善の市民運動を開始したのも"子どもたちを大気汚染から守りたい"との一途な思いからだった。"環境を犠牲にする経済"に疑問を呈すると、学者から冷笑された。ならばと、博士は独学を重ね、数多くの論文を発表。世論は大きく動き、公害の法規制に繋がっていった。
利益や名声といった利己的な動機だけで非難や中傷に耐えてまで信念を貫くのは難しい。逆境にも自分の支えとなるものは「誰かのため」という目的観だ。自他共の幸福を目指す「菩薩道」ーーーその人は、苦難さえ向上の追い風にする、充実の人生を生きられる。
分かち合う
父の料理がおいしくないーーそんなテーマの投稿欄を読んだ(読売新聞)。最初の投稿者が"お世辞にもおいしくない。"家族が困っている。どう対処すれば?"と問い掛け、それに対する意見や助言が相次いだ。
まず"うちの父もひどかった"ご飯だけ炊いてもらい"などの共感が多数。一方で、家族に貢献したい気持を受け止めて話し合いをと"融和"を促す声も。
記者(男性)もこの連休、台所に立ち、「チャーハンならできるけど、作ろうか?」と家族に聞いてみた。が、二人の子は「それならいらない」とつれない返事。妻からは「たまにやるんだから、食べたいものを聞いて作ったら?」と鋭く切り返され、意気消沈した。
自戒を込めて振り返れば、心のどこかに"やってあげている"という気持ちがなかったか。ジャーナリストの治部れんげさんの話を思い出した。米国の共働き夫婦を取材した際、夫たちは家事について「ヘルプ(手伝う)」ではなく、シェア(分かち合う)という言葉を使っていたという。
家族の役割分担はさまざま。ただ、自分も責任を担うという。"主体者の自覚"があれば、何げない支えや言葉にも感謝の心が湧く。責任を分かち合い、互いを思いやる。家庭の和楽はそこから始まる。
異文化の融合
紀元前の18世紀頃から12世紀頃にかけてアナトリア地方(現在のトルコ)に王国を築いたヒッタイトは、知的財産の価値が分かっていた民族だ。当時極めて貴重だった鉄の製法が周辺国に渡らないよぅにし、丈夫な鉄製の武器で強国エジプトの対抗勢力にのしあがった。人の往来がまれな村はずれに炉を造り、最終製品にする工房も秘密にして、温度管理や焼き入れなどのノウハウの流出を防いだと考えられている。始めて鉄をつくったのは実はヒッタイトでなく先住民属との説が有力。だが技術を厳重に管理する能力には秀でていたわけだ。
昔も今もテクノロジーを押さえられるかが覇権争いのカギを握る。古代が鉄なら現代は人口知能やロボットなどの技術だ。米トランプ政権は中国が国をあげて米国の技術の機密情報を盗みだしていると警戒する。米中貿易競技で重点をおく一つは知財の侵害阻止。技術の流出防止に躍起なさまは「鉄の王国」とも重なる。なぜ鉄が生まれたかは謎だが、さきの発掘記はこんな見方を示す。金、銀、銅の細工にたけたアッシリア商人アナトリアにやってきて、鉱物資源の知識が豊富な先住民と試行錯誤するうちに製鉄の方法を発見したというものだ。技術革新を生む異文化の融合。トランプ大統領は移民敗訴を唱える。技術を生む力は大丈夫か。
人のために生きたい
101歳の医師が、110歳を診察ーーー先日、沖縄で話題を呼んだニュースである。大正生まれの現役医師が明治生まれの県内最高齢男性のもとを訪ね、健康状態をチェック。肺や心臓の機能に異常はなく、好物のお菓子を頬ばる姿に「健康そのもの」と太鼓判を押した。
その医師は、健康長寿の人は共通点に「生きがい」「食事」「よく歩く」を上げている。先の110歳、若い時から長距離を徒歩で通勤し、100歳を超えても趣味の農作業を続けた。今は、家族とのおしゃべりが楽しみという。
当の医師は、著書の中で「人の為に生きたい」との思いこそ、高齢でも医師を続ける原動力と語り、健康長寿には"気の持ちかた"も大きく影響していると分析する。
生きがいを持って、よく歩くーーー友のもとへ向かう。目立たず、苦労も多いかもしれないが、献身の人は、身も心も健康になっていく。「歳とともに、いよいよ若々しく、大いなる生命力で生き抜いて行ける」。