生き証人の一人
水の都ベネチアはアドリア海に無数の杭を沈めてできた埋め立て地だ。美しい聖堂も邸宅もその上に立つ。しかし町を飾りたてても水上に暮らす「たよりなさ」は消えない。この地に立つとベネチア人の何百年もの孤独を足の下に感じると随筆家の須賀敦子さんは記す。
現代の東京も海を埋め立てながら広がった。臨海部にある夢の島公園に2日、都立第五福竜丸展示館がリニューアル開館した。65年前、米国の水爆実験で被曝した第五福竜丸の船体を保存・展示し、核の恐ろしさを伝える施設だ。廃船にされたこの木造船は、当時ゴミの集積地だった同館の周辺にしばらく放置されていた。
「やめてくれ」。ヘドロまみれの船体を後世に残すと聞いた元乗組員の大石又七さんは思った。船上で「死の灰」を浴びた記憶がよみがえる。仲間の死、病気や差別への恐怖。口をつぐんだが、船が市民らの手できれいにされ、展示館が1976年に完成するとぽつぽつ体験を語りだす。85歳。わずかな生き証人の一人だ。
須賀さんがベネチアの歴史をたどる手がかりは過去の記憶を宿す河岸の名や石碑、そして友人の回想だった。東京臨海部では 高度経済成長期のゴミの埋め立て地が公園となり、次の五輪開催を前に競技場整備め進む。小さな展示館に収まったモノや人の肉声だけが足元の歴史を語り、埋め立て地の「たよりなさ」をぬぐう。