何があろうといよいよだ!

なぜ人は山に登るのか"を語った名言は世界中にある。いずれの言葉にも人々が魅了されるのは、義務からではなく自らの意思で、あえて苦難に挑みゆく中に、人生の精髄を見いだすからかもしれない。

その一つ、登山家・小西政継氏の言葉にこうある。「心身を擦り減らすような戦いの中から、僕たちは人間の勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛え上げ、自分自身のよわさに打ち勝つ貴重な体験を学びとっている」。人生に通じる味わい深い言葉だ。

日蓮大聖人の生涯は、正法を広めゆくために、御自身にあえて大難を呼び起こしては厳然と勝ち越え、更なる難を競い起こす連続闘争であられた。その生涯を通じて、私たちに宿命転換と人間革命の"方程式"を教えられた。

仏法では「変毒為薬」「難即悟達」などの法話を説く。つまり「毒」や「難」といった"障魔"や"試練"が、そのまま成仏の因となることを教えている。

大聖人は度重なる大難に対し、「悦んでいわく本(もと)より存知の旨なり」と断言された。苦難を恐れ、避けていては、幸福への道は開けない。何があろうと"いよいよだ"と受けて立つ。この獅子王の心が、自身の境涯を高みへ導いて行く。