抜苦与楽
ことわざには、逆の意味を持つものがある。例えば「待たれる身より待つ身」と「待つ身よりも待たるる身」。前者は待っ人のほうがつらく、後者は誰かを待たせなくてはならない方がつらい、という意味だ。実際、待つのも、待たせるのも、どちらもつらいもの。だが、「待つ」という行為に何らかの意味を見いだした時、単なる負の感情とは異なる"新しい価値"が生まれる。
鍼灸院を営む父の影響もあって、大学の医学部進学に挑戦しても合格を果たせない。彼は自分のふがいなさに消沈し、両親はそんな息子の姿に心を痛めた。
ある日、母は祈る中で気付いた。"「待つ力」は相手を「信じる力」だ"と。「私たち夫婦の祈りは、ただ息子の合格を待つ"受け身の戦い"ではないと思えたら、すごく力が湧きました」。その一念の変化に呼応するかのように、彼は勉強に一層奮起し、8年間の浪人生活に終止符をを打ち、ついに今春、医学部に合格した。
「価値ある人生の極致は、人間の信頼に応え報いようと、いかなる苦難にも屈せず走破していく果てに達するもの」と語っている。将来、"ドクター"として、抜苦与楽の実践に挑む彼の人生の指針ともなろう。