分かち合う
父の料理がおいしくないーーそんなテーマの投稿欄を読んだ(読売新聞)。最初の投稿者が"お世辞にもおいしくない。"家族が困っている。どう対処すれば?"と問い掛け、それに対する意見や助言が相次いだ。
まず"うちの父もひどかった"ご飯だけ炊いてもらい"などの共感が多数。一方で、家族に貢献したい気持を受け止めて話し合いをと"融和"を促す声も。
記者(男性)もこの連休、台所に立ち、「チャーハンならできるけど、作ろうか?」と家族に聞いてみた。が、二人の子は「それならいらない」とつれない返事。妻からは「たまにやるんだから、食べたいものを聞いて作ったら?」と鋭く切り返され、意気消沈した。
自戒を込めて振り返れば、心のどこかに"やってあげている"という気持ちがなかったか。ジャーナリストの治部れんげさんの話を思い出した。米国の共働き夫婦を取材した際、夫たちは家事について「ヘルプ(手伝う)」ではなく、シェア(分かち合う)という言葉を使っていたという。
家族の役割分担はさまざま。ただ、自分も責任を担うという。"主体者の自覚"があれば、何げない支えや言葉にも感謝の心が湧く。責任を分かち合い、互いを思いやる。家庭の和楽はそこから始まる。